あこがれティーセットを思い浮かべて
あこがれは原動力
表参道のタルト店。
学生時代にちょっと背伸びして学友と一緒に訪れた。その時に食べたイチジクのタルト。
イチジク自体が人生初めてだった。
口の中でタルトの卵の香りと一緒にプチプチとした食感。
白の茶器と美味しい紅茶。
母校を訪れた際にチラッと見てみたがもう閉店したのか色とりどりのタルトのショーケースはなくなっていた。
だが時が過ぎ去った今も、心動くことの輝きは廃れない。
銀座にあるコーヒー店。
友人に結婚の報告をする際訪れた。
初老の眼鏡のオーナーの目の前には無数のカップ。
私は暑さのあまりアイスティーを頼み、氷と濃いめの紅茶で満たされたグラスを供されたが、隣の着物のご婦人のもとには着物のお色に良く合ったカップに注がれたコーヒーが。
ふむ。お客さんに合わせてコーヒーカップを選んで出しているんだね。
心が反応する時、その演出家となるのは茶器だ。
脇役にも主役にもなる。
その美しさにうっとりしても良いし、良い物に囲まれている自分に酔ってもいい。
Twitterのタイムラインに出てくる茶器に、持ち主の人格が見えてくるかも、なんて感じている。
あいにく、私には選び抜いた茶器はない。
どんな茶器が良いかしら。誰かが私のティータイムを覗いた時、私はどんな雰囲気に包まれているように見えるだろう。
考えたらまた心が反応した。
片付けられない系貴族
実は私は片付けられない。ずっと自嘲気味に言い続けてきた。
前の職場でも自分の持ち場が片付けられず、半泣きで先輩に何度も片付けを手伝ってもらっていたので事実だと。
自分はそういう「能力」がないもんだと思っていた。
先日、整理収納アドバイザーの2級をとり、自分でも脱却を試みた。
やっぱり、自分には能力じゃなくてスキルが、メソッドが無いんだと思った。
出産に当たって環境整備を試みた。
守るべき命。危険はなるだけ取り除きたい。
YouTubeを観ながら気分を高めて整理整頓をし始めた。
はまっているのは「かたづけトントン」さんのYouTube
愛知県のゴミ屋敷などなど大量の物をどんどん分別しながら部屋を空っぽにしていく。
とても爽快な気分になる。
その一方、ここまで物を溜め込んだ依頼主達の気持ちが痛いほど分かるし、依頼しようと決断したその勇気に対して自分が奮い立つとともに、気持ちが分かるからこそ自分がゴミ屋敷の住人にならないようにしなければとゾッとするのであった。
次は「ウチ、断捨離しました」だ。朝日系列の映像。
断捨離の提唱者のやましたさんは、空間を見た途端にどこに問題点があるのかすぐに見抜く。
アドバイスをもらい、一人で数日間断捨離を行う。断捨離中に物と自分の関係性を見つめ苦悩する人たち。
一見片付いていても、なにかが沈殿していて閉塞感がある人も。
家族の関係性や自分の生き方が反映されている。
最後にはみんな晴れやかな顔になる。
物を大切に扱うことは自分を大切にすること
本当にそうだと心から感じた。
断捨離系貴族へ
今日は、何となく使っていた食器類と向き合った。
目標は新しいティーセットを迎えるために。
社会人一年目に両親は故郷の長野へ帰ってしまい、自分は一人暮らし。
実家がおっくうに感じていた私にとって、輝かしい一人暮らし!
自分の意のままにできる空間。
両親は計画性がない私のために家電などそろえてくれた。
しかし、意のままにできる空間づくりを意気込んでいた私の意に反して、大量の食器を実家から譲り受けた。
今考えれば親心だろう。
あれから数年。私にも家庭ができ、新しい家族を迎える。
これを機に必要な物と自分が心踊る食器のみを残して捨てることにした。
うん!悪くない!!!
見た目だけでなく使いやすそう!
遠い先になるけれど、家を建てるなら、気分にあったティーカップをその日に応じて選べるような家にしたいなあ。
行動により思考が巡る。良い断捨離しました。
貴族生活への第一歩。